(動脈解離を乗り越えて。パートナーSの場合)パートナーが救急車で運ばれた!当たり前の1日がとんでもない1日に変わった日

 

 はじめに
 コロナ禍の中、懸命に治療にあたっていただき、通常であれば家族がやるべきことまで手を添えてくださったお医者さまや看護師の皆さまに、心から感謝して・・・
 

 2020年3月20日金曜日・春分の日
 新型コロナウィルス感染拡大防止のための専門家会議では懸命に「自粛」を呼びかけるも、結果的には4月7日、全国に先駆け7都府県に発令される「緊急事態宣言」に向けての流れが一気に高まっていった、そんな3連休の初日。
 私たちの仕事では、3連休も関係ないながら、たまたまパートナーのKはオフ日。そして私は遅番勤務で出勤していた。スタジオや劇場を管理する身として、この時私たちは、コロナの事をきな臭く捉えながらも、自分たちの生活を「まだ」平々凡々と過ごしていました。

「帰ってくるまでが遠足ですよ」
  なのに“虫の知らせ”に動悸がとまらない

 日頃からFacebookのメッセンジャーアプリを利用して、頻繁に連絡を取り合う私たち。
 この日、Kは昼ごはんにペペロンチーノとキャベツとささみのゴマ和えを平らげ、14時頃からかなり遅めのライド(自転車)に出発。写真つきで「行ってきます」のメッセージを受け取りました。そしていつも通り、途中、何度か写真を送ってくれるのを、仕事の合間に楽しみに見ていました。

いつだって合言葉は「帰ってくるまでが遠足ですよ」。

 16時頃。15時過ぎに折り返すよとの連絡を受けていたので、そろそろ帰ってもいい頃。いつもなら帰宅すると「ただいま」のメッセージが入るのに、入らない。心臓がトクンと一つなるけれど、いい大人だから途中寄るところもあるだろうと、その時は無理やり気にしないようにしました。けれど、後で聞いたところによると、ちょうどその頃、Kは大和川付近で胸の異常を感じ、自転車を傍に座り込んでいたのです。
 18時頃になると、たまらずこちらから「大丈夫?」とメッセージを打ちました。ほどなく「ちょつ調子悪い」と返信が。ちゃんと文字が打ててない。一気に心臓がドキドキとし始めます。心筋梗塞などが頭をよぎり、高速でネットを検索し、出てくる症状がないか矢継ぎ早に聞きますが、返事は「大丈夫」「あったまったら治るかも」ばかり。けれど、尋常ではないと感じている私は、メッセンジャーを介してのやり取りに、焦りばかりが募っていました。

胸が “痛い” か “苦しい”か

 この、胸が痛いのか、苦しいのか、ここの表現は大いに迷いました。
 幸いにも、本人の判断で19時40分頃救急車を呼び、無事に搬送されたのですが、色々な胸のあたりが関係しそうな病気の症状を検索すると、どれも「激しい胸の痛み」とあるため、本人のいう「痛いんじゃない、胸が苦しい」という表現に、そばにいない私は、どれほどの緊急度なのか、迷うばかりです。
 この後、病院でも「これは痛かったでしょう!」と先生方に言われるたび、「いや、痛くはなかったんですよね〜」というやりとりを、しばしば繰り返すのを聞くことになります。激しい圧迫感を感じていたと本人はいいますが、これ、他人にはほんとわからない。あくまでも本人は、痛くなかった、と言うんですから。

 とにかく、おかしいと感じたら、迷わず救急車!です。声を大にして言いたいのは、激しい胸の痛みばかりではなく、胸の圧迫感という症状もあるということ。私のように痛いのか苦しいのか、情報に囚われてどうぞ迷わないように・・・

どこに緊急搬送されたか、知るすべはなし・・・

 私とKは、パートナーの関係ではありますが、生計を一にしていません。籍を入れていない事、一緒に暮らしていないことなど、これまで、とくに不便を感じていなかったこのスタイルが、今回、デリケートに関わってくることになりました。

●搬送先が分からなくなる、という問題

 後で考えてみてちょっとゾッとしたのが・・・
 今回Kは1人で救急車を呼んだのですが、そばにいなかった私はすんでのところで母に連絡し、ギリギリのタイミングで母が救急車に同乗しました(近くに住んでいてよかった!)。
 このおかげで、母と連絡を取り合い、Kが搬送された病院にスムーズに駆けつけるができました。
 もし、Kが救急車に乗った時点で意識がなくなれば、運ばれた先では私に連絡をくれることは非常に困難だったはず。なんといっても公的な関係ではありませんから、いくら20年来の付き合いだといっても、それはそれ。地元の消防に問い合わせたところで、個人情報の壁に阻まれて、まず搬送先を教えてはもらえないでしょう。こんな場合のために、私はいま、財布の中に母とKの連絡先を書いたものを入れています。

 万が一が起きた時、家族が離れ離れにならないように。

●無数の書類への記入。そのとき。

 21時少し前に、緊急対応の待合所で母と合流。その時Kは処置室で病状を確認していただいている真っ最中でした。なんと運ばれた時点での血圧は210にもなっていたそう。
 体質によるものなのか、若いときから血圧の高いK。自覚症状がないこともあり、本人曰く、薬(降圧剤)を飲み始めたら一生飲まなあかんからと敬遠し、なかなか病院に近づいてくれなかったところ、最近になってお医者さんのお世話になり始め、そのことも今回の命拾いにつながったわけですが、それは本人のブログで詳しく・・・。
 不安のなか30分ほど経ったころ、お医者さまから「大動脈解離」とつげられ、そのままCCUに移動しました。素人でも画像をみてわかるほど、血管にヒビが入っている!!この時点で外科の先生から、解離の起きている場所が心臓に近いので、手術をすることのリスクが高いことを伝えられました。とにかく明朝再度CT検査をして、判断をしようということに。もうこちらは、はい、はいと肯くばかり。とにかく助けていただきたい!その一心です。
 これまで見たことのないような顔色ながら、なんとか意識のあるKのそばで、看護師の方に指示されるまま、様々な同意書に署名していきました。Kの近親者は弟さんですが、遠方にお住まいということもあり、Kに確認の上、この後Kに何かあった場合の責任一切を負う者としての名前も含め、全て私にしました。そのこと自体、一瞬も迷いませんでしたが、ここでもまた「続柄」の欄があります。その欄を前に、看護師さんとの協議のすえ「友人」と記載しました。冷静に考えれば「内縁」や「事実婚」など書き様は色々あったんでしょうが、気持ち的に「友人」はとてもしっくりとしました。なんといっても、これ以上ないくらいの親友でもありますから。後日談になりますが、看護師さんたちの引継ぎなどの書類には、私は「彼女さん」となっていたそうです(笑)。50歳を手前にしながら、何とも可愛らしい呼び方を、ありがとうございます(笑)。
 Kの搬送された病院は、こういった関係性を柔軟に対応してくれましたが、近親者でないとNGという病院も多いと聞きました。色々考え合わせるとそれが当然の対応なのかもしれませんので、今回、私はとても幸運だったのですね。

 書類に記入を終えると、今度は最低限必要な、箱ティッシュ/タオル/歯ブラシなどを、1階のコンビニで購入。一緒にサインペンを購入し、看護師さんの指示でとにかく名前を書きまくりました。
 枕元で細々としたことをこなす私に、小さな声で何度も何度もKが「ごめんな」と繰り返します。「ごめんとちゃうやん」と繰り返し答えながら、ともすれば泣き出しそうになる気持ちをなんとか堪えました。本当に生きていてくれてよかった。

 今は、私がKを守る番だと、強く強く思いました。

主がいない部屋の、耳を刺すような静けさ

 0時をまわる頃、病院を出ましたが、その前にKの住まいに寄りました。ザッと部屋を片付けておこうと思ったのですが、エアコンがついたままだったことと、小さなワゴンの位置が少し動いていたくらいで、とくに「緊急搬送された」という感じはありませんでした。けれど、Kがいない部屋のあまりの静けさに、恐怖心すら覚えました。疲れもあって、耳の奥でキ〜〜〜〜〜〜〜んという鈍い音も聞こえます。
 そのまま、亡くなったKのお義母さんも1人ではいやだろうと、写真をカバンにいれて私の家に連れて帰ることにしました。

 その夜は、万が一の急変を考え、着替えもせず、携帯を握り締めて夜を明かしました。

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