(動脈解離を乗り越えて。Kの場合)3月20日、当たり前だった日常が突如として奪われた日。生きているからこそ、伝えていきたい想いを綴っていきます。
あまりにも突然の「異変」
2020年3月20日(金)春分の日。
この日は仕事はシフトでお休み。朝から良い天気で、久しぶりにロードバイクに乗るにはとてもいい条件だったが、
結局グズグズしていて14:00すぎに出発。
夕方には帰ってきたかったので、大和川の堤防を走って「石川サイクル橋」で折り返す、往復約50Kmのコースを走ることにした。
開放的な景色を楽しみながら、ゆったりした気持ちで目的地に到着。
いつも通り、SNS用の「証拠写真」を撮る。
サイクルコンピューターで経路と時間、スピード、心拍などを見ると、ここまで1時間半で約25Km。
水分補給して10分ほど休憩する。
さて折り返し。予定通り、来た道を帰る。そして、ついさっき通った高架下をくぐった時に「異変」を感じる。
急に全身が強く圧迫されるような感じ。
胸が締め付けられる。お腹あたり、下半身もおかしい。息苦しい、というか急に力が無くなった感じ。
痛みはないが、力が入らずペダルが漕げない。どうした?
ゆっくり止まって、自転車から降りた。出発から42Km地点。
初めての感覚。身体の内側で何かが起こっている。
でも何が起こっているのか、はっきりした症状がない。
苦しい感じはあるが痛みは無く、少し休憩すれば良くなるのかも知れないと思い、堤防に座ってみた。
10分ほど経過。
あとから考えると・・・とても危険な数時間
少し楽になったような気がする。いや、楽になったことにしたかった。
救急車を呼ぶほどでもない、と誰かが言ってるような。
多分、現在地もうまく説明できないし。(いや、GPSが表示している)
もう夕方。風もあり体温が奪われていくばかりで、このままだと冷え切ってしまう。
動いた方が良さそうだ。
立ち上がれた。
ここから自宅までは、多分10キロも無い。
ゆっくり走っているうちに、回復するかも知れないし。
しかし動けなくなった時のことも考えて、堤防を下り市街地を走って帰ることにして、ゆっくり、ゆっくりと力を入れずに惰性で走った。
途中、信号待ちでは深呼吸をし、何度か自転車を押して歩いた。
そうして、なんとか自宅にたどり着いた。
エレベーターのボタンを押して、帰ってこられて良かったと思った。
丁寧に自転車を片付けた。
シャワーを浴びてスッキリしたら元気が出るかも、と思ったが、でも結局、息苦しくて10分も浴びていられなかった。
身体を横にすれば案外、元気になるかも知れないと思い、布団に横になってみた。
病院に行くのは避けたかった。もし仕事を休むことになったら大変だ。
それは大和川の堤防で自転車を降りてから、ずっと考えていた最悪の事態だ。
しかし横になっても回復の兆しは一向に訪れず、
逆に心臓の鼓動が、今まで聞いたことがないくらいに大きく、ダイレクトに感じられた。うるさいくらいに。
どうしたんだ。急に不安が大きくなる。
ああ、これはいよいよ覚悟しないといけない。時間が経つと悪い方向に向かいそうだ。
救急車を呼ぶのか、呼ばないのか。苦しい中での自問自答
仕事中のSにメッセージを入れた。
症状と現状。
動揺がありありと伝わってくる。ごめん、申し訳ない。
119に連絡した。
しっかりと伝えたつもりが、住所の間違いを指摘された。
意識ははっきりしているのに。
自分も動揺しているのかと思ったが、それに気づいたことで逆に落ち着いてきた。
シャワーを浴びてスウェットに着替えたのは正解だったな、とか、最小限の荷物をまとめないと、などと考えていると、
遠くからサイレンが近づいてくるのが聞こえてきた。
ほんの4~5分で救急車が到着。インターホンが鳴る。画面に3人の救急隊員。
ああ、オートロックの開錠ボタンが遠い。
気づけば、布団の上で体を丸めてうずくまっていた。
車椅子に乗せてもらい、エレベーターで1階へ。
救急車の中で横になった。
既に、近くに住むお義母さんがパートナーからの連絡で来てくれていて、同乗してくれた。
とても心配そうな顔。ごめんなさい。後で聞いたが、顔色は真っ白だったらしい。
隊員に症状を聞かれて、答えた。
かかりつけ医を聞かれて、答えた。
ちょうどその時期、高血圧症を診てもらっていたクリニックに紹介状を書いてもらい、「大阪急性期・総合医療センター」で改めて診察を受け始めたところだった。
救急隊員が連絡をとってくれ、すぐに搬送先が決定。
たらい回しにされずに、幸運にも通っていた病院に受け入れてもらえる。
診察カードから患者番号も伝えてくれたので、到着する前に自分のデータを見てもらえるだろうと思うと、少し不安が和らいだ。
気づけば、外はもう暗い。救急車の赤色灯が派手に回っていた。
下された診断は・・・
病院に着くと、ストレッチャーに横になったままゴロゴロと何人もの人と一緒に移動した。
その間に症状を聞かれて、答えて、広い処置室のような部屋へ。
そしてCT(MRI?)を撮られるとき、
女医さんに「Kさん、動脈解離だったら入院ですよ」と、はっきり言われた。
動脈?解離?なんだ??
撮影が終わり、そしてしばらく点滴やなにやら、いろんなものを体に付けられているときに、
「Kさん、動脈解離です」
え。ああ、入院なのか。大変なことになった。仕事の段取り、なんとかしないと。。。
動脈解離ってなんだ?俺は、どうなったんだ?
私と高血圧のこれまでの長い付き合いについて
かなり若い頃から「高血圧」と付き合ってきた。
健康診断では、たびたび高血圧と診断されていたが、ずっと放置。
全く自覚症状がなく、日頃の生活に支障を来しているわけでもなかったし、血圧降下剤を飲み始めると一生飲み続けることになるので、それが嫌でずっとずっと見て見ぬふりをしていた。
ところがある年の健康診断で、血圧が高すぎて(200超え)肺活量の測定とバリウムを飲む胃のレントゲンを「危険」と判断され、受診できなかったことから、ようやく自覚。
なんとか自力で克服しようと、まず血圧計を購入して毎日データを取り、体質改善にトライ。
2016年5月に、自転車通勤に切り替えて往復30kmの運動を。
また、食事を魚と野菜中心にしてもらい、毎日の体重も管理。
毎日2箱ちかく吸っていたタバコも段階的に少なくすることで、2018年11月には自力で禁煙に成功。
3年間頑張って成果を出した。
10kg以上の健康的なダイエットに成功、身体は軽くなり服も2サイズダウン、
ロードバイクで大阪から伊勢神宮まで走れるほどの体力もつき、
なぜか甲殻類アレルギーも出なくなり(これは多分無関係)エビや力二をたらふく食べられるようになった。
禁煙できたことで、家も車も、もちろん身体もクリーンになった。
でも、これだけやっても血圧は下がらなかった。。。
さすがに観念した。
2019年9月に近所のクリニックを受診、ようやく高血圧症と向き合う覚悟を決めた。
つまりこれから一生、薬を飲み続けることを、受け入れた。
それから約半年、血圧降下剤を処方してもらい、ゆっくりと経過を診た。
ところが下がらない。
薬の量を増やしてみたが、やっぱり下がらない。
え。薬飲んだら下がるんじゃないのか。覚悟決めたのに。
医師から、副腎の病変に起因する「原発性アルドステロン症」を疑う、と告げられる。
血圧が下がらない原因はこれか、もしくは「そういう体質」だと。
そういう体質?そんな診断があるのか??
とはいえ、もし副腎が原因で切除して治るなら、薬漬けの一生を送らなくて済むかも知れない。
クリニックでは精密な検査ができないため紹介状を書いてもらい、
「大阪急性期・総合医療センター」(旧・大阪府立病院)で改めて検査を受けることに。
自宅から自転車で5分だから、通院にも便利。
さあ、「原発なんちゃら」を退治するぞ。
2020年2月20日、初診。
2020年3月11日、2回目の血液検査。
そして、わずか9日後に大動脈解離を発症することになる。
ちょうど1年前に突然発症した「動脈解離」。自分自身の記録として、また、万が一この記録がどなたかのほんの少しでもお役にたつようならと、今回ブログという形で記し始めましたが、この後、入院生活や手術、そしてリハビリ後の復職や、2度目の手術のお話など、随時アップしていけたらなと思っています。
また、パートナーからみた、出来事などは「S」の場合として別途記していきますので、そちらもどうぞご覧ください。